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白鳥神社 宮崎県えびの市末永白鳥1479 |
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白鳥神社由来応和年間(一説に天暦年間。ともに10世紀後葉)、霧島山を訪れていた性空が白鳥山の頂上付近にある六観音御池の畔の六観音堂で法華経を唱えていたところ、白髪の老人が現れて「我は日本武尊であり白鳥となってこの山に住んでいるが、我を祀る神社を建てよ」と語り白鳥と化して飛び去ったことにちなみ、白鳥山中腹に聖観音を本地とする白鳥権現社として創建されたと伝わる。因みに日本武尊が霧島山中にあらわれたのは、かつて熊襲を討った因縁があったためといわれ、そこから後世軍神として崇められることともなった。
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性空上人36歳の時、慈恵大師(元三大師)良源に師事して出家。日向国霧島山や筑前国脊振山で修行し、966年(康保3年)播磨国書写山に入山し、国司藤原季孝の帰依を受けて圓教寺(西国三十三所霊場の一つ)を創建、花山法皇・源信(恵心僧都)・慶滋保胤の参詣を受けた。980年(天元3年)には蔵賀とともに比叡山根本中堂の落慶法要に参列している。早くから山岳仏教を背景とする聖(ひじり)の系統に属する法華経持経者として知られ、存命中から多くの霊験があったことが伝えられている。1007年(寛弘4年)、播磨国弥勒寺で98歳(80歳)で亡くなった。
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白鳥夫婦杉(御神木)直径十九メートル、周囲約六メートル樹齢は約五百年と云われている。白鳥山が、一千年以上の神厳とした霊地で高徳先賢の一大道場でもあった歴史を物語、御神木として崇敬されている。 |
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旧海軍奉納 砲弾日清戦争時に軍艦に使用されていたものですが、武運長久を祈願して奉納されたものです。重量は約八十数キロあり、持ち上げれば御神徳を給われると伝えられます。 |
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阿吽の仁王像本来仏法の御法信である金剛力士像が阿吽一対以前のまま鎮座し、憤怒の形相を表して境内に魔物が侵入しないよう守護しているものです。 隆々たる筋肉体質で力強い風貌から健康の神様として深く崇敬されています。 |
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末社 水分神社御祭神 弟橘姫命大和武尊の妃である。国の平定のために奔走する日本武尊を陰から支え続け最後は自らの入水によって日本武尊を 救命する逸話が残っている。 |
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付近の名所・観光地 |
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満足寺跡転得三年(959)頃、霧島山は性空上人によって、観世音菩薩の浄土として世の脚光をあびるようになった。 その時、白鳥六所権現社の別当寺として、白鳥金剛乗院満足寺が建立されたという。 |
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